タレントの栗原 類さんが、NHKのテレビ番組「おはスタ」で、
自身の発達障害を告白したことが、話題になっている。
栗原類さんは、端麗なビジュアルに反した個性的な言動とのギャップが受けてきた。
8歳の時、アメリカでADD(注意欠陥障害)の診断を受けたのだとか。
テレビなどで見かける彼の言動は、なんとなく、発達障害を想起させるもので
おおつかとしては、栗原類さんの言動が、いつかメディアのタブーを犯してしまうのではないかと
実は、いつもハラハラ見ていた。
あるいは、どこか深いところでとても傷ついているのではないか。。などと勝手な心配をしていたりもした。
栗原類さん、発達障害を告白した後、
自身のブログで
「ただ僕は僕であり、今までとこれからが何も違う事はなく僕にとっては一本の道が繋がっていてそこを歩いているだけです。」
「僕が発達障害者であっても、そうでなくても僕は僕」
とコメントしている。
そのとおりだと思う。
診断を受けるとか
受けないとか
障がい者手帳をとるとかとらないとか
支援を受けるとか受けないとか
障がい者雇用で就職するとかしないとか
そういうことは、一要素であって、
その人のすべてを表現するものじゃないわけで。
「僕は僕」という言葉。
発達障害者の栗原類
ではなく
栗原類を形成する一要素に、発達障害の特性がある
ということだけだという解釈。
「理解してくれて、調整役になってくれる人がいたら、とても過ごしやすい」
というコメントに
ほろりとなったおおつかでした。
栗原類さんのブログはこちらです。
http://ameblo.jp/louiskurihara-ege/