早く仕事を終えて乗った19時まえの通勤電車。
リュックサックを背負いマスク姿の30代くらいの男性がドアのところに立っていた。
暑い中マスクをしている人も珍しい。
なんとなく気になって視線をやる。
見ると、その彼、知的障がいのあるような風貌を携えている。
彼はどこかに就職していて、その通勤帰りなのだろう。
バインダーの上にノートを広げ、ノート一面にびっしりと数式を書いている。
すごい速さで鉛筆を走らせていた。
しばらくするとストップウォッチの音が。
ストップウォッチを再セットし、もういちどノートに向かって鉛筆を走らせる彼。
おおつかは目が離せなくなり、車中で彼の行動を見ていた。
数式を解いているのだろうか。書いているのだろうか。
私の場所からはわからない。
2つ3つ先の駅。
ドアが開き、乗客が乗り降りしたときのことである。
50代くらいの女性が乗ってきて、その彼に挨拶めいた声をかけたのだ。
彼は、聞き取りにくい声で女性に挨拶を返した。
そのあと、ふたりは言葉を交わした。ひとことかふたこと。
そしてその50代くらいの女性は、それ以上は彼とは何も話さず、 50センチくらい離れたところに立って文庫本を開いた。
彼も、またすごい勢いで鉛筆を走らせることに集中している。
知り合いなの?
同僚でもなさそうだし、家族でもなさそうだし、もちろん友達同士でもなさそうだ。
そしておおつかの妄想の世界が花開く。
通勤電車。いつもの時間同じ車両に乗っている。
毎日のように、乗り合わせる中で、なぜだか視線を交わすようになり、 挨拶を交わすようになった。
50代の女性は、彼のいわゆる「変わった行動」を、 最初は「???」と思って見ていたが、毎日毎日遭うたびに、 なんとなく好意的に受け止めるようになり
今や、帰りの電車で彼とかわす挨拶が日課のようになっている。
お会いする障がい者雇用担当の方からよく言われる。
「障がい者雇用だからといって、どうでもよい仕事をやってもらいたくない」
この言葉には、かわいそうだとか、後ろめたいという気持ちが見え隠れする。
もちろん、ふだんの彼が、どうでもよい仕事をやっているかどうかは知る由もない。
朝起きて身支度をし、食事をして、電車に乗って、会社に行く。 会社ではいろんな人が働いている。
うまくいくこともあれば、失敗して注意されることもある。
優秀な仕事をしているかもしれないし、 会社では困った社員として評価されている場合もある。
同僚と仲良くやってるかもしれないし、もしかすると職場で孤立しているかもしれない。
とにかく彼は仕事を終えて、電車に乗って家(かグループホームか)に帰る。
就業しなければ手に入れることのできない人生を生きているのである。
肩に力が入るあまり、失敗を恐れるがあまり、 一歩も踏み出せずに時間ばかりを費やしておられる担当者の方。
誤解を恐れず申し上げたい。
いいからとにかく採用してみようではありませんか。
「やりがい」「生産性」「ダイバーシティ」はあとからついてくる。
成功するかもしれないし、うまくいかないかもしれない。
でも課題が見つかれば、解決していけばよい。
障害者雇用だからといって失敗できないという考え方はしなくてよいのだ。
やればわかる、やればできる精神で、その一歩を進めていただきたいと思う。