福島 智 さんの講演~生きる意味、そして生きるよろこび~

by ootsukablog, 2015年7月20日

東京大学先端技術研究センター教授 福島智さん。

福島智さんの出版記念講演会に出かけた。

会場となった京王プラザホテルは満席。東北、九州などから大勢の方が来場されている。

ぼくの命は言葉とともにある」という著書の反響の大きさを物語っている。

 

福島さんは9歳で失明し、18歳で失聴。

いわゆる目も見えず耳も聞こえない盲ろう者である。

 

テレビの画面を消した状態が、視覚障害

スピーカーの音を消した状態が聴覚障害。

そして、画面もスピーカーの音も消した状態、つまりテレビのコンセントを引き抜いた状態が「盲ろう者の世界」とおっしゃる福島さん。

 

だが、そんな福島さんに最も大きな苦痛を与えたものは、

見えない、聴こえないということそのものではなかったそうだ。

 

それは。。

 

「関西人なので」と冗談交じりに例え話を使って話してくださった。

 

盲ろうになってもトランプゲームには参加できたんですが、

ゲームが面白くなくなりました。

なぜか。

「せこいな お前」とか「その手はずるいぞ」といった、ゲームにつきまとうちょっとしたやり取りができないんです。

やりとりのないトランプゲームなんて、ちっとも面白くない。

結局トランプなんて、ゲームそのものが面白いのではなく、その「やりとり」が面白いだなあと思いました。

 

やり取り(コミュニケーション)ができないことが、最大の苦痛だったと。

 

「自分から世界がどんどん遠ざかっていく」

「真っ暗な宇宙空間にたった一人で漂っているような感覚」なんだと。

 

ああ、おおつかが書くと薄っぺらいけど。

でもがんばって福島さんのご講演と著書の要約を書いてみます。

 

「〇〇がなければ死んだ方がまし」といういい方があるが、

光を失い、音も失ったのだから、死んだ方がましなのか。。。 現に自分は今も生きている。

であれば、生きる意味はいったい何なのか。

 

フランクル(心理学者)は「絶望=苦悩-意味」と言っている。

これは、苦悩と絶望がおなじものではないことを示している。

絶望と異なり、苦悩には意味があるということ。

この式の左辺と右辺の「移行操作」をすると

「意味=苦悩-絶望」となる。

そして、

「絶望」の反意語を「希望」だとすれば

「-(マイナス)絶望」=「希望」だと考えられる 。

したがって、

「意味=苦悩+希望」

つまり、苦悩の中で希望を抱くこと、そこに人生の意味があるのだと思った。
こんな哲学的な思索に至ることのできるのは、 やはり、福島さんご自身の壮絶な生き様があるからだと感じた。

でも福島さんがすごいのは

その先。

 

ただ、苦悩の中で希望を抱くことに、人生の意味を見出したとしても

そのことは、自分の内部に閉ざされた、自己完結的な「意味」です。

 

自分の存在があいまいになってしまう盲ろうの世界での生きる手ごたえは希薄で。 喜びに乏しい日々となります。

生きている実感 生きることへのエネルギー つまり 幸福を感じるには コミュニケーションが不可欠。
そこで 指点字という方法でコミュニケーションをとることで 福島さん自身が、生きる意味の世界から 生きる喜びを取り戻していった というお話でした。
ここからはおおつかの完全な個人的な意見。 というか、おおつかの意見でなく 日本理化学工業の大山泰弘会長の受け売りだけど(笑)
「生きる喜び」の「レベル」をあえて考えてみると ここに 「働く」という行為が必要になってくるように思う。
大山泰弘会長のおっしゃる人の究極の幸せとは 人に愛されること 人にほめられること 人に約に立つこと 人に必要とされること
4つのうち3つは 働くことによってのみ得られること。
うんうん。 多いに共感。

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